フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
一週間毎日のように泣きました。こんなに濃い一週間を過ごすことはないと思います。マスター、現地NGOのみんな、スタッフの皆さん、本当に出会えてよかったです。
忘れられない
私は小学生の頃、海外には恵まれない人たちがたくさんいることを知り、そんな人たちを助けたいと思うようになりました。しかし、助けたい、何かしたい、という気持ちだけで実際は何をどんなふうにすれば良いのか、本当に何が必要なのか、わからないことだらけでした。そんな思いを持った中、大学でケニアへの研修が募集されました。自分にとって大きなチャンスになると思い、ケニア研修に参加した私は、現地でスラム、孤児院、ストリートで物乞いをする子どもたちなどありのままの現状を生で実感しました。やはり貧しさや問題点は目につきましたが、それと同時にケニアの人たちのキラキラした笑顔がとても印象的だったのです。私はそこで、本当の幸せ、貧しさとは何なのだろう、本当に現地の人が必要なことは何なのかと、今まで以上に考えるようになりました。そして、もっといろんな世界を見たい、そう考えて見つけたのがこのフィリピンのボランティアです。フィリピンの子どもたち、貧しい人々と実際に関わり、自分の手で何かをするという活動は、今の自分にとって非常に大きな経験になると思います。ぜひこのボランティアに参加してたくさんのことを学び、考えたいと強く思い、参加を決めました。
「あなたたちボランティアしにきたの?じゃあどうぞ、あの人たちにボランティアしてきなさい」そう言われて、初日から立ち尽くす自分がそこにいました。目の前にはごみの山、そしてそのごみと一体化しているかのような木の板で出来た今にも壊れそうな”家”。そこに寝ている痩せ細った人。ボランティアをする?何をするの?私に何ができるっていうの?自分の浅はかさと無力さに、ただただ悔しさだけが残りました。参加する前に先輩方の感想文をすべて読み、「自分は自己啓発のために行くのではない、ボランティアおたくではない」そう思っていましたが、実際に明確なビジョンも特技もない、私はボランティアおたくそのものでした。
「親孝行が一番のボランティアだ」「一番大切なのはお金。あなたたちの20万近くを寄付してくれたほうがよっぽどいい」「20万どぶに捨ててるぞ」「あんたたち何しに来たの?」…マスターに言われた言葉は、自分がどれだけ簡単な気持ちでこのボランティアに参加したのかを思い知らされるものでした。自分に対する後悔と迷いの中、1週間が始まりました。
2日目、スモーキーマウンテンに着くとすでに私たちを待って並んでいる子供たちの姿がありました。ただパンをあげるのではなく一列にしっかり整列させて、ありがとうの一言を覚えさせよう、そう思っていましたが私たちがそんなことしなくてもほとんどの子供たちがしっかり順番を守りありがとうを口にしていきました。マスターは、「僕はお腹がすいてる人誰にでもパンをあげているんじゃない。パンをあげることで礼儀を子供たちに教えている。礼儀をしっかり身につけた子供たちが将来のスラムやフィリピンをよくしていくんだ」そうおっしゃっていました。お腹がすいてる子供たちがかわいそうだからパンをあげるのではありません。その場限りの同情ではなく、本気で子供たちの未来を考えて長い目で活動する、本来のボランティアがそこにありました。
3日目はマザーテレサの孤児院を訪れました。障害を持ち、親もいない子供たち。実際に私たちが触れ合った子供たちは、ベットの上に寝たきりで手足は折れ曲がり、言葉を発することもできず私たちの言葉もおそらく理解していないような状態でした。私と同じくらいの年齢の女の子は、私のつけていた腕時計をすごい力でひっぱってきました。「この子はおしゃれが好きなの」17歳の女の子でした。健康で生きていたら、おしゃれに敏感な女子高生です。でもその子はおそらくこのまま一生ベットの上で過ごします。また別の女の子は、最初は私が何を言ってもこちらを向いてくれない、きっと何もわからないのだろう…と思っていました。しかし別れ際に私の手をぎゅっと握り体を引き寄せてくれたのです。まるで「私を置いていかないで。ここにいて」そう言っているかのようでした。堪えていた涙が溢れてきました。私は五体満足で健康に育ってきて、両親もいます。それがどれだけ恵まれていて素晴らしいことなのか思い知らされました。
その他、スラムでのフィーディングや空手教室の見学などを行いましたが、結局自分はボランティアとして何も出来なかったと思います。助けたいと思って来たはずだったのにむしろ、迷惑ばかりかけ、たくさん助けられてしまいました。正直、後悔ばかりが残っています。改めて自分は何もできない、何も知らない「平成宇宙人」なんだと実感しました。最後のフリーの2日間も、天に見放されたかのように雨が降り、何もできずに終わってしまいました。
しかし、自分の価値観や考え方は1週間前に比べて大きく変わったと思います。親への感謝の気持ち。自分が今過ごしている環境の特異さ。どれだけ自分が恵まれているか。ボランティアという言葉の意味。1週間で何度泣いたかわかりません。悔しさ、悲しさ、そして感謝…いろんなことを心で感じることができたと思います。
マスターは私たちに本当にいろいろなことを教えてくださいました。マスターの怒った顔や大きな声は、正直とても怖かったです。でも、マスターは本気で私たちを叱ってくださいました。私は勝手ながらそこにマスターの大きな愛を感じました。そしてマスターの言葉一つ一つによって、自分がこんなことも出来ていなかったのかということを思い知らされました。マスターが叱ってくれて、フィリピンに行って色々なものを感じで、そこでやっと自分の甘さに気付くことができたと思います。今更かと言われてしまうかもしれませんが、フィリピンで改めて感じることのできた当たり前の考え方を私は絶対忘れません。
マスター、いっぱい怒らせて、迷惑をかけて、本当にすみませんでした。私はマスターに怒鳴られている時より、あきれたように笑われているときのほうが悲しくて悔しかったです。怒る気力もなくなるくらい自分はダメなのだと感じました。だから、マスターが怒ってくれたときは、正直嬉しさもありました。そして気合も入りました。本当は怒らせないくらいしっかりしているのが一番良いのでしょうが…マスターこんな平成宇宙人の私を見捨てないで叱ってくれて、ありがとうございました。(でも一番好きなのはマスターの笑顔です。)そして現地NGOの子供たちやスタッフのみんな、私たちのために次の日も学校で朝が早いのに夜遅くまで起きていてくれたり、フィーディングのときに手伝ってくれたり、町中を歩くときに私たちを守ってくれたり…みんなに助けてもらったことを挙げればキリがありません。マスターに叱られた後に「ダイジョーブ?」と笑顔にさせてくれたり、時には厳しく注意してくれました。毎回毎回日本人が訪れて、そのたびに何もできない日本人が来て、マスターやキッズやスタッフの皆さんは正直うんざりしたりストレスも溜まると思います。それでも皆さん、本気で向き合ってくれて、本当にありがとうございました。
いつか成長した自分をマスターにお見せできる日が来ることを目標に、一日一日を一生懸命、そしてすべてのことに感謝して、生きていきます。マスターその日までどうぞお元気でいてください。
感謝、合掌。三浦奈月
「ボランティア」という言葉を軽々しく口にしたくないと感じました。マスターが、「自分のこともちゃんとできない奴になんでボランティアができるの?」とおっしゃっていたように、私はまず自分自身の成長を目標として日本で頑張って生きていきたいです。そして、両親へ感謝という気持ちを絶対に忘れず、またいろんなものに対して感謝して生きていきたいと思います。
今の自分が行っても意味がないと思うから。ちゃんと成長してからまた皆さんに会いに行きたいです。
軽い気持ちで参加しないでください。やる気プラス何をしに行くのか、よく考えて準備をしてから臨んでください。