フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
忘れられない
障害者として生まれきて、自分のことしか考えられずにこれまで生きてきてしまいましたが、自分より理不尽な環境で多くの人が生きていることを入院中に気付かされました。また。以前記者をしていた恩師から、パレスチナの凄惨な光景を写した写真を見せて頂きました。私は今、人間社会の中で存在意義のある人間になりたいと強く思い、その一心で大学生活を過ごしています。今回申し込みさせてもらったのもその気持ちからの行動です。これから、私は国際協力を社会人として生涯行っていくことを決心しており、そのために大学院でさらなる専門性を磨こうと検討しています。しかし、現地では何が必要とされているのかを知らなければ、結果を伴う国際貢献は成しえないのだろうと考えています。今回の派遣を通して、机上では知ることができないものを学ぶことを望んでいます。
今回の経験を通し、自分がいかに浅はかに誰かのためにいられると思っていたことを痛感させられました。国際協力という分野で身を立てる決心をしていた私には、専門的な知識・能力がなければいかに無力であるかその不甲斐無さと反省を心に刻み続ける2週間を過ごしたと言えます。特に、14日間の約半分を終えた頃に訪れたスモーキーマウンテンでの思い出は一生忘れることができません。私たちが食糧物資を子供たちに配布している時に、ガイドの方がカメラを持ち直接子供に食糧を手渡すという私たちの役割を回させながら、一人一人フィルムに収めていきました。私はそんな写真を後から眺め自己満足、あるいは充足感に浸るためにここに来たのではないと心から叫びたかったです。しかし、それを行動に移すことはできませんでした。それまでのフィリピンで過ごした日々の全てが、その権利さえ持ち合わせていないことを自分自身に悟らせたのです。その無念さや、自分たちが事実行っていることの違和感は仲間にも共通したようで、最後に快く撮影をかってでて下さった現地の方がレンズ越しに見た私たちの表情は暗かったようでした。その方が撮影の前に「笑って」と私たちに励ましの声を掛けたのです。その瞬間に今の自分がこの地で望まれていたことなど最初から何もなかったのだと、今まで自覚することを避け続けた事実との直面に、その場で膝から崩れ落ちそうになりました。そして、今の私がこれ以上この地にいても何もできないのだということを悟りました。
これまでの内容からすれば、私の過ごした14日間は絶望だらけの日々だったと思われるかもしれません。しかし、その時間に私は人生で一番多く人の笑顔を見た気がします。そして、生きるということの尊さ、人の強さや優しさを脆さとともに感じる日々でもありました。本当は自分が何かをもらうためにその地にいるべきではないのに、現地NGOの子供たちの笑顔は眩しすぎて、マスターの背中が大き過ぎて、溢れ出る愛情が温かすぎて、申し訳ない気持ちもいっぱいなのに間違いなく14日間私は幸せでした。皆に自分がどれだけ恩を返せるか正直分かりませんが、皆が大切なものを感じさせてくれた心は、「志願」の糧となって私が出会う人達の心にも響くはずです。マスター、現地NGOの皆さん本当にありがとうございました。一歩一歩前進して昔の自分よりも強くなって心の汗を流せる人間に必ずなっていきます。
今回学んだことは、ボランティアは自立した人間にしかなし得ないということ、既に確立したものの実践であるということ。さらに、自分が何かを施したいと思っている場所に住む人たちは、自分が豊かな生活を享受している間にもその場所でずっと生き抜き、自分よりも強くたくましいということです。自分は先進国に生まれただけで、何も心が強いわけではないという自覚は、将来国際協力の分野で仕事を考えている自分には、より関わる人たちのへの深い理解や尊敬の心に繋がると思います。
親孝行し、独立するまで考えない
現地で求められるのは、自己の学びではなくすでに獲得したものの実践の場であることをはきちがえてはいけない。