フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
いい経験に
発展途上国を映像でしか見た事がなかったので、自分のこの目で実際に見て、感じたいと思いました。フィリピンを選んだのは、子供達と触れ合いたかったので、参加させていただきました。
空港に到着して、真っ先に両親に電話しました。「おかえりなさい。無事でなにより」そう言ってくれました。今までにも何度かこういった場面がありましたが、今回はとても心に響きました。
フィリピンに着いてから、自分の浅はかだった考えに情けなくなりました。子供達を笑顔にしたい、 発展途上国をこの目で見たい、出発前には真剣にこう考えていたものの、マスターの言うとおり、ただの観光客にすぎませんでした。 ボランティアの定義でさえ聞かれたとき、答えられませんでした。こんなちっぽけな自分でも何かできるんじゃないかと思っていた自分が、恥しくなりました。今のままではいけない!と思い考えに考えましたが、頭で考えても何も浮かばないし、行動には移せませんでした。”心で 動く”そうマスターが教えて下さいました。
2日目、マザーテレサ孤児院に行って、一人でご飯が食べられないような障害を持った子供たちに、ご飯をたべさせました。言葉は話せません。ただその子は私の目をずっと見ながら、もぐもぐご飯を食べていました。生命力がひしひしと伝わってきて、生きてるっていうだけで本当に幸せな事だなと思いました。その日の夜、帰ると子供たちが私を待っていてくれました。私がバスケを子供たちと一緒にしたい!とマスターに伝えてあったので、子供たちに言って下さっていました。とても楽しかったです!!私がシュートを決める度に、子供達が抱きついてきてくれて。しかし、バスケ・・・というよりも、ボールの取り合いの取っ組み合い。ルールを知らないのだと思います。マスターから聞きましたが、大人ともなると、バスケは賭けごとだそうです。それを聞いたときショックでした。コートを照らす電気もない、裸足で下はコンクリート、トイレさえないのであちこちに垂れ流し、あまりにも私が日本でしているバスケと違いすぎて、驚きを隠せませんでした。そこで私は子供たちにバスケで賭けごとをするような大人になってほしくないと思い、ちゃんと教えてあげようと思いました。最終日にルールを教えてあげるつもりでしたが、やはり、あちらに行ってから思いついたことだったので準備が間に合わず、これだけでも!と思い「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」これだけは絶対忘れないでねとしか伝えられませんでした。すごく後悔しています。
スモーキーマウンテンでのフィーディングでは、私たちを見かけた途端に、子供たちが並び始めました。子供たちに配るカップケーキ400個とサンダル15足を用意していました。正直、カップケーキは余るんじゃないかと思っていました。そんな自分が馬鹿でした。むしろ足りなくて、サンダルも本当に必要としている小さい子用を用意してなく、配り終えた後も 「ちょうだい」と手が伸びてきました。そんな中、“やったぞ”と写真を撮るとき、どんな表情をしたらいいか分かりませんでした。本当に私は無力でした。
最後の最後まで自分はだめだったと自己嫌悪の毎日でした。しかし、一人の女の子が「フィリピンに 来てくれてありがとう。あなたに会えてうれしい。笑顔がステキだよ」って言ってくれました。思わずそこで泣いてしまいました。「泣かないで?」って涙をぬぐってくれました。何も出来ていないのにと思う自分と、フィリピンに行く前に思っていた「私と一 緒にいて楽しいなと思ってくれたらいいな」という願いが伝わって嬉しかったのが入り混じって、ぎゅっと抱き締めました。帰るときも、子供たちがお手紙を書いてくれて飛行機の中で人目を気にせず、泣いてしまいました。
日本にいる今、すべてのことがありがたく思います。ご飯が食べられること、働けていること、学べること、安心して寝れること、笑っていられること・・・すべては両親のもとに生まれてきたことに感謝です!!!!この気持ち絶対に忘れません。
これからもボランティア精神を持ち続けて、精一杯生きていきます。
今思うことは、”本当の意味でのボランティア”は今後しばらくできそうにありません。まずは、親孝行をしてから、将来家族を幸せにして、有り余った愛で何らかのボランティアができたらなと思います。それでも、ボランティア精神は持ち続けていきます。「後悔をしなこと」「自分に今何ができるのか自問自答していくこと」をしていきたいと思います。