フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
フィリピンの子供たちは強く、優しく、たくましかった!自分も彼らに負けないように頑張りたい。
もう一度行きたい
東日本大震災のボランティア活動を通して、自分の知らないところ、見えないところで苦しんでいる状況の人達の力に少しでもなれればと感じました。自分と同じ人がどうしてこんなにつらい思いをしなけれならないのか、納得できません。自分が活動することで、この苦しい状況から救われる人が出てきてくれればいいと思っています。また、東北の被災地には海外からも多くの救援物資、人道支援があり、世界中の人々が国境を越えて支援をしてくれました。今度は自分が世界で苦しんでいる人のために頑張りたいと思い、志願しました。
到着した瞬間にマスターから言われた言葉はとても衝撃的でした。「何しに来たの?ここはボランティアをする人が来る場所で、君たちみたいな観光客が来る場所じゃないよ。」、ほかにもいろいろなことを言われました。正直、腹が立ったし、来るところを間違えたのかもしれないとも思いました。自分はボランティアをするためにここへ来たのになんで怒られなくちゃいけないのか、そんな感情を持ったまま、自分のフィリピンでの生活は始まりました。次の日から、他地区のスラム街、スモーキーマウンテン、マザーテレサ孤児院、サンチェゴ要塞、色々な場所に行きました。そして行く度にマスターが言っていた言葉の意味がわかってきました。どこに行くにしても、子供たちやジェニーやアラマがついてきて来てくれて、自分たちのことをボランティアしてくれている。ボランティアしに来たつもりがボランティアされている、という事実に気付いた時は本当に申し訳なかったし、情けなかったです。確かに、自分のケツ拭く紙も買えないバカ大学生って言われても、何か言える立場じゃないなと思えました。でも、そんなバカ大学生をマスターは本気で叱ってくれるし、子供たちはそんなこと関係ないよって感じで自分に接してくれました。何にも出来ないで、ただ、そこにいることしかできないのに、それでも現地の人達はとても優しく、強かったです。そのおかげでスラムでの生活は充実していて、子供たちや一緒に活動した仲間たちとの絆が深まりました。すべての日程を終えて日本に帰る時は、本当につらくてジープの中で泣きっぱなしでした。マスター、子どもたち、ジェニー、アラマ、タトゥーのお兄さん、串焼き屋のおばさん、そして一緒に飯を食った仲間たち…いろんな人に心からありがとうと伝えたいです。この 1週間、フィリピンのスラム街で生活して強く感じたのは、達成感や充実感よりも自分の無力さでした。お金はない、なにか特技があるわけでもない、英語やタガログ語がペラペラなわけでもない、フィリピンでの生活は何物にも代えられないくらい素晴らしい経験になったのは確かでしたが、最後の最後まで子供たちには何もしてあげられませんでした。それが本当に心残りです。いつか必ず今よりも強く、優しく、金の稼げる、いい男になってもう1度あのスラム街に戻りたいと思います。
マスター、重ね重ね本当にありがとうございました。またお会いできる日を楽しみに頑張ります。
帰り際、マスターに、自分の信じる道を行け、その直感を信じろ、お前ならきっといいリーダーになれるからと、声をかけてくれました。自分は将来の夢を警察官になることとずっと前から決めていたので、すごくすごく自信がつきました。いいリーダーシップをとることができて、頼りがいのある警察官になるためにこれからも頑張っていきたいと思います。
まだやり残したことがあるから。
子供たちに対して何ができるのか出発する前にもう1度よく考えたほうがいいと思います。