フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
フィリピンで出会えた全ての人たちに感謝しています。合掌!
視野が広がった
高校生の頃からいろいろな福祉活動に関わることが多くこれまでに、障害者施設利用者との交流や、環境ボランティア、特別支援学校における子どもたちの学習支援などをしてきました。 私にはかつてから国際ボランティアをしたいという思いがあり、その気持ちは「もし世界が100人の村だったら」という絵本を読んでから、強くなっていきました。現地でボランティアプラットフォームとして行うボランティア活動にはこれまでに培った献身的な精神で挑んでいきたいです。少しでも、難民区にいる彼らの生活の支えになれたらと思います。
日本に帰ってきてから、もうだいぶ日にちが経ちました。すぐに感想を書きたかったけれど、帰国直後に体調を崩してしまい、やっとこ復活しつつあるところです。
マスターがいたら、きっと叱られちゃうな…って思います。
フィリピンにいた一週間は、毎日泣いていたような気がします。
もともと涙脆い私ですが、フィリピンで流した涙は、悲しいとか、嬉しいとか、苦しいなどの、名前のある感情では言い表せないものでした。
マスターの言葉が心に沁みて、それがそのまま涙になったのだと思います。
フィリピンから帰って来て、いつも通りの生活を送っているのに、私の感性はそれを違った視点から受け取るようになっています。
通学の電車に揺られる人、すれ違う赤の他人、自分の友人たち、みんながとても十分に満たされた暮らしをしているのに、今以上の幸福と贅沢を手にしようとしている。表情や口に出すことはなくても、人々の貪欲さをよく感じるようになりました。
そしてそれらが、スラムのゴミの山よりも遥かに汚ないものであると知りました。
ゴミが、人の欲に吸われて枯れた物の塊なら、人の欲望がそれより汚なく見えるのは当然のことだったのに、今までの私はそんなことにも気がつきませんでした。
それから、フィリピンでマスターや現地NGOのみんなに出会ってから、人を思いやることに関して以前より日常的に意識するようになりました。「私があなただったら、どうされたいか」を念頭において行動することが、フィリピンでの生活で身についたのだと思います。
これを無意識で出来るだけの人間に成りたいです。
全ての人がそうやって、互いを思いやる気持ちを持って生きていたら、ボランティアなんて必要のないことなのだと教わりました。
「半場は自分、残り半分は他人への思いやり。」そういうことですよね。
フィリピンへ来て、自分の力で出来たボランティアを考えると、「ボランティア」という言葉に相応しいことは何も出来なかったように思います。
お金を寄付すること、マスターの活動を足で纏いにならぬようにお手伝いさせていただくこと、それだけのことしか私は出来ませんでした。
私がしたことといえば、子どもたちにボディーペイントをしたり、紙に似顔絵を描いたりしたことぐらいです。
そんなことでも嬉しがってくれる無邪気な現地NGOたちに、私が幸せをもらっていました。
かっこよく、逞しく、優しい彼らが大好きです。本当にありがとう。
今後、この経験を活かすことについて、自分の経験を、出来るだけ多くの人に伝えたいと思っています。
フィリピンで受け取ったものの大きさ、心に響くような重みを、真剣に受け取る姿勢のある人たちに話していきたいです。
互いを思いやる、今よりも温かい環境づくり、人々の心の温暖化を広めていきたいです。
「自分の身の周りに感謝して、生活環境に感謝して思いやりをもって生きること」を人々に伝え、それが間違っていると思う日が来たら、もう一度参加したいと思います。
これから参加する人たち、ここへ来て自分のやりたいコトの目的を明確に持っていますか。今までよりも優しさを持って人と接することを心がけて、私も、あなたも生きていきましょう。