フィリピン スタディツアー AE-2015.3.31への海外ボランティア
子ども達の笑顔が素敵で、笑顔はプライスレスなものだあと思った。
絶対行くべき
比較的時間にゆとりのある学生のうちに、観光地を巡ったり、ショッピング等の娯楽要素が目的の”旅行”ではなく、様々な価値観やバックグラウンドを持つ人達と交流し、自分自身の成長に繋がるような体験が目的の”旅”がしたかった為。
この団体や現地住民との関わりから学んだ事は、“やってみようと思った事に忠実に行動する”だった。「挑 戦」とは違っていて、それよりももう少し軽い挑戦とでもいうべきか。やってみようと思ったことに、構え ずに実行している姿勢が深く印象に残っている。それは活力(思想)の肥(実行)になっていると気づいた。
私の場合、色々なことを自分自身で考えて、こ れはいい事,悪い事,自分ならそうしない,これやって意味あるのか?等など十分すぎる程、念を入れて十 分考えてきた方だと思う。しかし「それに見合った行動」という視点で見てみると、ほとんど何もやってこ なかった事は多い。
未来の事はわからないので、どう生かせるかは
今の自分にはわからない。しかし今、この活動を
振り返って先の自分に送るメッセージとすればこん
な感じだ。
「フィリピンを離れ帰国した日本の 生活で、好奇心を元にコツコツと軽い実行に踏み 出せ。これは A.理想への実現か、B.不変の“分 岐点”になる意外に重要なことだ」と。
また、こんな経験もあった。私は簡単な英語し
か話す事ができないほどの語学レベルです。でも
これまで色々な人や組織を見てきて体験をしてき
た。そんな中で遭遇した私からしてみれば明らか
に矛盾した出来事に英語でうまく伝えきれなかっ
たし、そもそも英語が不十分な時点で聞き入れて
もらえなかったりもした。これは相手の人が十分 な時間の余裕が無かったことや、根気を持って話すということに値する人物に私が成れていなかった自分の 責任でもあるのかもしれない。
また、先進国の 人が現地の人に意見を伝える場面で、先進国の人はどこか上目線でやり取りが交わされていたように感じた。 これにはフィリピンが欧州国の植民地とされてきた歴史的背景や、自分の意見を主張する欧米の文化的背景なも のも背景にあると感じた。
これらの経験を通して、学んだことが2つある。非原語的コミュニケーションは大事だけど、言語のコミ ュニケーションもそれに等しく重要。言葉の重要さを身に染みた。もう一つは、もし将来に逆の立場になっ た時、少数派又は弱者の意見にも耳を傾ける努力も必要だと。
実際に海外に出てみて、これまでの旅や活動から起る偶発的な問題に、最終的には自分自身で判断を下し、 解決して無事にたどり着けた事は、出発前の自分からすれば大きな成長になったし、私自身の中で様々なハ ードルが下った。世界は広い。でもそんなに広くないとも思う。どこに行っても人は人だ。以前と違って海 外に行く事への抵抗はほとんどなくなった。常に世界を視野に入れる事。日本はもうアジア各国に目標とさ れていないばかりか、追い越されて現在衰退の途中にいる。そして更に衰退へと急激に加速していることも。
でも日本人はいい心を持っている。これから日本は人生のスパイス的な何かがあれば日本もいい味でてくる と思うし、それが本来の日本の味だとも思う。
こんな事を考えるようになったり、このようなを経験する事は日本を発った時には想像もできるわけがな かった。知らない世界に足を踏み入れる事は確かに簡単ではないが、実際に行ってみると全く自分に関係の ない問題や嬉しい出会いに遭遇する。でも、どんなことがあっても何とかなる。自分らしく向き合うこと。
これからも私自身に起ってくる不確実なことばかりの未来である 1 日 1 日を、自身や周りの人と時に協力 しながら共に 1 つずつ歩んでいきたい。私は今そんな毎日を楽しんでいます。
何より、人の温かさをとても感じた。子ども達の笑顔が素敵で、笑顔はプライスレスなものだあと思った。活動最終日、村を出るとき、泣いてくれた子がいた。貧しい暮らしをしてて、今までつらいこともあったのだろうけど、たった数日遊んで別れるだけで泣いてくれたのがすごくうれしかった。子ども達の涙は絶対忘れないようにしようと思う。
日本で生活しているとと忘れがちだけど、貧しいひとが世界にはたくさんいて、それを忘れずに一日一日を大事に生きようと思った。勉強したくてもできない人が世界には多くいて、自分は勉強できる機会を無駄にしないようにしようと決めた。
自分が見たのはフィリピンのほんの一部分だと思うけど、少しでも本物を見るのは、話で聞くだけとは全くちがう。