ベトナム スタディツアーへの海外ボランティア
Cam on(カム オン)=ありがとう
いい経験に
何事も「百聞は一見に如かず」だと思います。
行き先国の歴史や文化、習慣だけでなく、その中でも良いところもそうでない部分をボランティアを通じて学びたいと思ったからです。
大事なのは、過去に起きたことが現在の一般市民の生活等にどう影響しているのか、特に日本との関わりについて学習したいと考えています。
2013年9月14日
・クチトンネル、戦争証跡博物館、(市内観光)
市内のホテルからバスで1時間以上かけてクチトンネルへ。全長約200kmとも言われ、ベトナム戦争中に米軍に見つからぬよう、周囲には多くのトラップを作り、身を潜めて暮らしていたそうです。現在は観光のため約3倍まで穴の大きさを拡大し一部潜り抜けることができましたが、それでも狭く酸素が薄い地下道を歩き、戦時中かつ熱帯性気候の下での厳しい生活を肌に感じることができました。
博物館では、ベトナム戦争について詳しく勉強することができました。貴重な資料が残される中、多くの海外の写真家やジャーナリストらが様々な視点からこの戦争を映し出しているのは興味深かったです。ただ、戦争証跡という名の博物館であるが、仏軍や米軍の「戦争犯罪」に関する内容がフォーカスされ、支配されたいた北ベトナム側があまり展示されていない不平等な情報が伝えられていることに疑問を感じました。
2013年9月15、16日
・孤児院(2日間)
現地ガイドによると、訪問した孤児院は市内にいくつか同系列の施設を持ち、受け入れている孤児の平均人数は約200人に対し今回は270人と比較的大きな孤児院で活動しました。そこに0歳から17歳の孤児が生活し、5%が健常者、残り95%が知的・身体障害者(主に枯葉剤の影響を受けた子供達)でした。健常者は特に欧米人の養子となるケースが多く、残された孤児は寿命が短いため亡くなるまで不自由な生活を強いられているそうです。
私達の活動は、主に孤児院の看護士の手伝いでした。国からの補助金も少なく、人手が足りない厳しい状況にも関わらず一生懸命働く職員や看護士に感銘を受けました。訪問前に事前学習はしたものの、初めて子供達と対面した時は私達全員動揺を隠しきれない様子でしたが、最後は子供たちと触れ合う時間を惜しみつつ、与えられた任務を全うしてきました。
2013年9月17日
・小学校
この小学校へ通う生徒の親は、病気で亡くなったり、或いは犯罪で刑務所へ入っており、経済的に貧しい状況の中なんとか生活しています。そのため、午前中のクラスが終わると昼休みではなく働きに出て家計を支えている生徒がたくさんいました。
驚いたことに、当日現地テレビ局が取材に来ており、私がインタビューを受けることになりました。事前にボランティアプラットフォームとしての活動であることを説明し、小学校や生徒について個人的な感想を伝えました。辛い状況を理解した上で交流してきましたが、それを忘れさせるほど活発な生徒と触れ合い逆に元気をもらいました。
2013年9月18日
・病院
孤児院や小学校と同様、国からの資金も多くなく比較的裕福な方が入院する病院でしたが、日本からの医療関係者やその他関係者、有名歌手・俳優といった方々が寄付し村の発展に貢献していました。村の医師から病院の説明後、枯葉剤の影響を受けた子供達と交流してきました。日本でも有名になったドク君が働いている病院でもあり、お会いする機会がありました。この平和村は、過去400人程の子供達を退院させてきましたが、大学生や社会人として生活しているのはドク君を含め8人のみのようです。この厳しい現状を知ることができただけで大きな収穫となりました。
全体を通して、ベトナム戦争やその関連として孤児院や平和村を訪問し貴重な経験をすることができました。
私達一人ひとりができることは限られていますが、この経験を友人や職場でも共有していくことが私達参加者の大事な「任務」だと思います。また、今回の経験を活かし他国でのボランティア活動にも積極的に参加していきたいです。
手続きに手間が掛からなかったため。
参加する前にベトナムと日本との関わり(戦時中や当時の経済支援等)を学習してから参加するとより理解が深まると思います。