カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
笑顔があふれています。
成長したい、人の役に立ちたい、将来の進路に活かしたい、現地の様子が見たい・知りたい、現地の生活を体験したい、子どもたちと交流がしたい
素敵な出会い
去年の夏にも参加させていただきました!
子供達と一緒にたくさん学び、たくさん遊び、たくさんはしゃぎ交流を深めたいです!
昨年に引き続き、カンボジアの村へ日本語と英語を教える教育ボランティアに行ってきた。村につき学校に行くと走ってきて笑顔で迎えてくれる子供たち。その中には去年一緒に勉強した子供たちもいた。「先生二回目!ゆうきーさん」って言ってくれた。「わたし、なまえ!」って聞いてきたからその子の名前を呼んだら、少し恥ずかしそうな顔で嬉しそうに「はーい!」って言ってくれた。初端の再会の場面から幸せな気持ちになった。
今回受け持ったのは二年生と五年生。二年生は屈託のない笑顔で抱き着いてきて、「ゆうきさーーーーーん!!!!!」って。それが可愛くて可愛くて。そんな子供たちは勉強にも真剣で、時にはふざけちゃうけど真面目に授業に励んで、覚えたての言葉を一生懸命使ってた。笑顔が絶えなくて、楽しそうに勉強する子供たちを見てると自然と笑顔になれた。それに比べて五年生は静かな子供たちが多かった。去年受け持った五年生たちは元気いっぱいで人懐っこかったけど、今年の五年生との間には見えない壁があるみたいで、日本人を避けてたり、授業中の元気がなかったり、笑顔が少ないように感じた。やっぱり日本と同じように学年ごとに色があるんだなって感じた。子供たちが暗いのは、現地の先生にちょっとしたことでも怒られてたからそれが原因で委縮しちゃってるのかなって思ったりもした。最初は話しかけても全然相手してくれなくて避けられてたけど、クメール語の単語を覚えて使ったり、子供たちとの遊びも全力で楽しんで、とにかく話しかけまくってたら少しずつだけど距離が縮まったように感じた。最終日には全然笑顔がなかった子供たちも笑顔で話しかけてくれて、みんなが手紙くれて、授業も楽しそうに元気に取り組んでくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。嬉しくて、寂しくて、涙が止まんなくて、子供たちに笑われたけどそれも嬉しかったなあ。この村にいると、人と人の繋がりとか優しさとか、思いやりとか、笑顔とかいっぱいあって、胸がギュッとなってまた来たいって思える。いっぱい幸せな気持ちになった。
ボランティアって聞くと、偽善だとか押しつけだとか意味がないとかそう思う人もいると思う。でもうまく言えないけど、そんなんじゃないって自分は思ってる。ボランティアって何かを与えるとか何かをするっていう一方的なものじゃなくて、人と人の繋がりがあって、笑顔があって、涙があって、苦しさとか悩みがあって、お互いが幸せな気持ちになって、未来に繋がっていってそういうのも全部ひっくるめてボランティアだって思う。自己満足なのかなとも思うこともあるけど、活動に意味があって笑顔が増えることを知ってるからずっと続けたいって思う。
自分にできることなんてほんとにちっぽけで、世界中見渡したらゴマ粒みたいにちっちゃいかもしんないけど、できることを全力でやって、楽しんで、笑顔でいれる自分でありたいって改めて心の底から思いました。
進路の選択肢を広げるきっかけにしたい
成長した子供に会いたい
色々と気負う必要はありません!