カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
自分たちのやれることはちっぽけかもしれない、それでも自分たちができる事を精一杯やろうと、仲間と話して心からそう思う事が出来ました。
勉強になった
教員を志望しており、満足に教育を受けられない子もいるカンボジアの教育環境でのボランティアを通し、自分の視野を広げ、教育者としての使命感や正義感を増す事が出来たらいいなと思い、参加を志望させて頂きました。
今回たったの一週間でしたが、本当に様々な事を考えさせてくれるものとなりました。
私の中でボランティアは、見返りを求めない美徳精神論は無理であって、ボランティアは最高の形の自己満足でいいと思っていました。自己満足でも人の為に何かしたいと思って行動できる事はいい事だと思っていました。
しかしこの一週間、現地の子供達の為に何ができるだろう、子供達の為になる事はなんなのかと、非常に考える事が多くありました。
プログラムでいわゆる観光地に行って、多くの子供達がものをねだったり、絵ハガキを1ドルで買ってと言いながら何分もついてきた事がありました。こういった事を毎日しても、そんなには稼げないのではないかと思い、ガイドさんに話を聞きました。
すると、農業とかもやりたくてもお金がないと出来ないわけで、やりたい仕事ができるという事は少ないのが現状であるという事を言っていました。
その時、夢を持っても叶えることが極めて困難である人達がいるという事を改めて思いしり、自分が学校で日本語を教えてもそこまで子供達に影響を与えることはできないんじゃないかと思ってしまいました。
そういった事を周りの仲間に話したところ、『自分たちのやれることは確かに小さいかもしれないけど、日本語を少しでも使える事でやれる仕事の幅が広がる可能性はあるし、そして何より日本語を使って、日本人と少しでもコミュニケーションをとる、それだけでも幸せを感じてくれる人がいるかもしれないじゃん』と言ってくれました。
自分たちのやれることはちっぽけかもしれない、それでも自分たちができる事を精一杯やろうと、その時に心からそう思う事が出来ました。
そしてもっと学ぶ事って楽しいなという感覚を身につけてほしいと思いました。
大人になって社会に出れば様々な出来事が起き、その出来事の色々な事に興味を持って学んでみて、その中で楽しさを感じて何かやっていればきっと幸せだし将来の可能性も広がるんじゃないかと、自分の偏見かもしれないかもしれないけれど、一生懸命授業準備をして子供達に飽きさせないような授業をつくっていきました。
このように本気で子供達の為にと考え行動できたのは、仲間達のお陰であり、また親身にアドバイスをくれる現地スタッフの方のお陰だと思います。
授業をしている事に対しての自己満足ではなく、相手の事を考え授業をすること。
自分軸ではなく相手軸になる事。
そういった大切さを非常に考えさせてくれる一週間となりました。
私は教員を目指しております。私の中の理想の教師像は、その場の生徒からの評価や見返りを求めるのではなく、心から生徒の事を考え、その時どんなに嫌われようとも長期的にみて生徒の幸せを考え行動できる教師です。
今回のボランティアで、相手の事を心から考える大切さを学んだので、そういった当たり前な事を忘れないでいられるようにしたいと思います。
様々な事を考え学び、そしてもっと何かしたいと考えたため
是非色々な事を深く考えてみてください。そしてそれを仲間やスタッフの方と話し合ってみてください。必ず何か学べます。