バリ島 スタディツアーへの海外ボランティア
他者に触れ、その隔たりに苦しみ、そして見つけた存在の温もり。どうも、ありがとう。
視野を広げたい、成長したい、現地の様子が見たい・知りたい、現地の生活を体験したい、子どもたちと交流がしたい
優しさに触れた
「貧困や困難」を物語化して語ることは容易ですが、それはむしろその実態を不可視化し、無に帰するのではないか、そんな想いとともに過ごしています。おそらくそのようにして語ることは、その困難の中で生きる人の生きる力を剥奪する行為でしかない感じていますし、あるいはその存在を一方的に「助けよう」と感じるのも、たとえそれが自然なものだとしても、どこかでそれは自己保存の欲求と結びついたものなのでしょう。その結果として自己と他者を峻別してしまう。もちろん社会正義として、平等は必要だと考えています。でも別の次元を思う時、困難の中にも満ち足りた思いがあり、裕福の中にも貧しさがある。だから、貧困や困難と共にある存在をただ単に援助するのではなく、それとは別の方法で、その傍らで、共に時をいくらか過ごすことができれば、そこに何かの可能性を見いだすことができるのではないか、今はそう考えています。
生きるということは一体、私が生きているということは、どのような様態をなし、いかにして語りうることができるのでしょうか。生きること、すなわち他者とともに、世界とともにあるということ。他者を傷つけ、傷つきし者として過去の責苦を追いながら、記憶の中でその足取りをたどりつつ、ふと、自らのみぞおちに得体の知れない哀しみを抱くこと。
今回、私にとっての他者とは、時を同じくしたツアーの参加者であり、海を隔てて出会ったバリの仲間たちです。仲間たちであり、それぞれが主他者として私と隔絶された一つの存在、その時間、そしてふと込み上げてくる侘しさと、未来の予感。どこを向いても哀しげでありつつもまたどこかで重なるその記憶。時は流れ、流されてその記憶とともに私を押し流してゆくのだけれども、思いを起こせば流れの一つひとつの層の中には経験不可能性を経験する数々の、思い出があります。私を縛ることなく、ただそのままに自由であり続ける思い出があるのです。
思い出、そう、思い出とは、生きた匂い、その真っ只中の生活、そして人々の笑顔と、そんな胸に迫る人々の声。みんなとの食事、月明かりの空と星、アンタレス、そして祈りと、何者にも所有されず、私へと届く歌達。言葉と交わした愛おしいその眼差し、砂煙と腐臭と、海と太陽、矛盾を生きるもの達の夢々。繰り返せば、私にとっての、このバリ島での思い出とは、そのようなものであり、そして同時にそのようでないものでもあります。そして、そのひとつ一つが今も私の指の隙間からこぼれ落ち、私の人生の一部として今も私の生きる端緒を更新している私の中の他者でもあります。おそらく私が感じた全ては、そうやって私の人生に内在し、そしてそれ以上には語りつくせないものなのでしょう。私が出会った人々は、私にとっては常に他者であり、私とはその日常を隔絶されたところで、またそこで時を育みながら生きている存在に他ならないのだから。けれども、たとえそうだとしても、その隔たりとともにともに分け合った時間があり、互いの境界は常にこの目の前で更新し続けている。そして犇く存在の間でそれぞれが非人称的に行為の臨界にふれその行為の中にある暖かな温もりを感受しているでしょう。その感受の仕方がたとえ怒りでも、傷つきであっても、痛みであっても、喜びであっても、哀しみであっても、全てが生きていること。それに何ら変わりはありません。私がその全ての出会いを、この生のうちに果たしつつ、それは今も完了することなく進行しているのです。そのまぎれも無い事実は私にとっての、過去から生身出された未来であり、また重苦しい生の中に沈殿する、あの素晴らしい笑顔なのでしょう。たとえどんなに今も、いつでも私を正視できなくとも、私が出会ったあのひとつひとつの瞬間がその愛と、存在と不在の間で燦然と今を照らしてくれる、灯火となってくれる。そして私が生きる、その一人でないという証の、何者にも変えられない記憶と、未来。決して国家や困難、言葉達によっては回収されないあの温かな、忘れはしない出会い。私をさしまねくこの愛おしい気持ちです。そう、何者によっても回収されることなく、その場で生きる、生命としてのつながりであり、その甘美な、思い思いの幸福。その純然たる存在なのです。その存在を思いつつ、私は言いたい。全ての出会いに、ありがとう、と。また会う日まで、だからこそ未来へ、その温もりを求めていたい。そう今は強く思っています。またこの生のうちに、きっと出会える、そう信じて。
どうも、ありがとう。
他者という存在との出会いと別れ、けれどもその両者を通過しつつ、迂回しまた回帰するところにも新たな出会いがあるでしょう。今は、ただそんな思いに満たされつつ、そして再び会える日々を描いていたい、そう思っているところです。そのために私にできること、それは決して思考を停止せず、苦しくともひとつひとつの思いを育みながら世界の中を生きること、そのこと、そのことが何にも変わらず大切なのでしょう。
理由はない。
きっとあなたの大切なもの、たとえ僅かだとしてもそれはきっとどこかに見つかるはずです。
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
送迎やガイド、インドネシア語の習得への手ほどき、その全てが今も私の記憶のうちから、生々しく思い出されてきます。その中で育まれ、今もまだここにあるその出会いは、ひとつであり多であるような私の経験のうちにひめた、大切な記憶、そして今、未来となってゆくでしょう。国家や、言葉、あらゆる言語的差異に彩られた二項対立の彼方で、生身の存在として、その喜びを、怒りを、そして時を共有することができたこと、私は感謝しています。また、会いましょう。