フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
私1人では生きていない、他の人もいるから生きていけるんだということを感じて感謝の気持ちでいっぱいです、
感謝でいっぱい
大学4年生になったいま、様々な価値観を肌で感じるようになり海外にも目を向けるようになった。周りの友達や先輩も海外に出向き日本では体験できないようなことを体験し自分自身の糧にしていたように感じた。そのため、私自身も海外に出向き現状を知り、少しでも自分を成長させるためのひとつのきっかけにしたい。もちろん、自分のためだけでなく海外の困難な問題に少しでも貢献したいと気持ちもある。是非、学生のうちに経験をし、今後社会に出る前に一皮向けたいと思っている。
私は、このボランティアに参加するまでは自己成長ができる、または母親との母子家庭から似ている境遇の子供に愛を与えられるようなボランティアをしたいという浅はかな考えで望んでいました。日本から飛行機に乗っている時にも自分に何ができるだろうかと不安でいっぱいでした。現地についてからは早速マスターに怒られ、ボランティアとは自立して自分のことが1人でできるようになってから他の人へ何かをしようとするものだなどと言われました。その時点では、私は受け身でただ与えられたものだけをこなす、プログラムに参加しているだけの大学生になっていました。それからは自分にできることは何かを問いただし、自発的に行動するように心がけました。
スラム街での宿泊先でも、いつ危険な目にあうかわからないほど治安も悪く、急に刺されて殺されたという話も何回も聞きました。そんな危険な場所だからこそ現地NGOの子供達は私たち日本人をガードしてくれ、私たち日本人がボランティアをしにきたはずなのにいつの間にか迎え入れてもらい現地NGOの子供達にも負担をかけているのが現状でした。現地NGOの子供達も色々な辛い背景を持っていながらも常に笑顔で、何度も励まされました。その日からはどんなフィリピンの厳しい現状に出会おうとも笑顔は絶やさず、子供達には暗い顔見せないと決めました。ボランティアをしにきた私にとって最低限できることは笑顔を作ること、自らお金を出して物資を与えることしか出来なかったのです。それがあまりにも力になれず申し訳ない気持ちでいっぱいでした。2,3日過ごして行く中でボランティアとはなにかを少し考えられるようになりました。ボランティアをする以前では無料で手伝いをすることとしか感じていませんでした。しかし、フィリピンに来てからは、自分のしたいことよりも相手がなにをして欲しいかを的確に理解し、それについて一生懸命、自発的に行動することが大事だと思いました。ただ、食べ物や物資を与えるだけでは長期的なボランティアにはならないことも学びました。フィリピンのスラム街で生まれた人は革命が起こらない限り生活は変わりません。そのためには、子供達の得意な分野、教育を助長していけるようなボランティアをしなければ長期的なボランティアにはならないと感じました。その例として、礼儀、徳、スポーツや歌手といった得意分野を伸ばしていける環境作りなとが必要と感じました。
このボランティアに参加して、日本で生まれたことに感謝、親に育てられたことに感謝、当たり前のように毎日ご飯を食べられることに感謝です。ほんとに、一週間と短い期間でしたが面倒を見てくれたマスターや現地NGOのみんなに感謝したいです。私から残せたものはほとんどありませんが、貴重な経験となりました。ありがとうございました。
ボランティアとは、を自分なりに感じて今後ボランティア精神を忘れずに愛、物資を与えていきたいと思います。そして、フィリピンでみて、感じた現状を決して忘れることなく日本で生まれたことに感謝をしつつ、また海外の貧民区などに行きボランティアをしたいと感じました。
こんな未熟な自分を考え直させてくれた。
中途半端な気持ちでは宿泊先や、現地NGOの子供達に多大な迷惑をかけることになります。しっかりとしたボランティアのプランを立て、自発的に行動するんだという心構えを準備してください。