フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
この7日間の出来事は絶対に忘れることなく私の心の中で生き続けます。いつか恩返しできるような人間になって必ず会いに行きます!
人生が変わった
テレビなどでも、スラム街の少年少女やゴミを拾ってお金を稼ぐ幼い子供たちを取り上げた番組がたまにありますが、それを初めて見たとき、こんなに過酷な国があるんだということを初めて知りました。心が締め付けられるような衝撃的なものでした。その時から、自分に何か出来ることはないかと思うようになりました。しかし、ずっと思っているだけで行動せずという日々を過ごしていました。そんな自分に嫌気がさし、ボランティアについて調べていたらサイトでNGOの存在を知りました。現地へ行ったらテレビの何十倍もの衝撃だと思います。しかし、何も行動せず思っているだけではなく、実際に現地で現状を知り、この目で見て感じたいと思い参加を申し込みました。
この7日間は、忘れてはいけない忘れることのできない貴重な日々でした。マスターを始め、現地NGOのみんな、本当にお世話になりました。この22年間、胸を張って立派に生きてきたなんて到底言えない。恥ずかしい話だが、フィリピン来なかったら自分の環境がどれほど恵まれてて、周りの人や物に対して、特に両親に対して全く感謝しないで生きてきたことを気づくことなく、口先だけの気持ちのこもっていない感謝をして生きていただろう。最終日、マスターの家から出て子供達と別れてからの車の中、バスの中、空港で一人でトイレに並んでる時、飛行機の中、日本に到着してから家までの電車の中。「心の汗」という名の涙が止まりませんでした。人目を気にすることなく流しました。涙を流すことは恥ずかしいことなんかないんだと教えてくましたね。今もなお、心の汗が止まりません。初日からあんなに泣くなんて思ってもいませんでした。マスターに「あなたたちは、ボランティアオタクですか?パパラッチですか?」と言われ、「パパラッチ?ボランティアにオタクとかあるのか?」と正直頭の中はハテナマークでした。でも、マスターの話を聞いているうちに、私はビジョンもなく、ただのボランティアオタクでしかないと思い知らされました。現状を知り、何ができるか知りたい。子供にご飯をあげたり、一緒に遊んだりして笑顔にしてあげたいと思ってた自分。子供を笑顔にしたい?そんなのビジョンでもなんでもないとすぐに気づかされた。私なんか行かなくたって、子供たちは既に輝かしい笑顔ではじけていた。自分が情けなくて浅はかな甘い考えでボランティアをしに行くと言っていたフィリピンに行く前の自分を一発殴ってやりたいと思った。マスターの言うことは正しいことばかりで、怒られても間違ったことを言われていないから、ただただ自分に嫌気がさすばかりで悔しくてたまらなかった。スモーキーマウンテンには、配給するパンやサンダル、傷を手当する為の救急箱を持って行きました。フィーディングとファーストエイドを待っている子供達が既に列を作って私たちを待っていました。サンダルや飴など物資を持った瞬間に、ちょうだい!僕に私にちょうだいよ!と私の洋服を引っ張ったり、腰や肩をたたいて訴えてきたり、勢いよく周りに集まってくる様子に圧倒されて動揺してしまいました。ファーストエイドの時、傷を見せてくる子供の中には、本当に治してほしくて来る子供もいれば、手当後に貰える飴が欲しくて、怪我をしていないのに、「ここ怪我してる」と何もない所を見せてきたり、手当が必要ない傷を「傷あるから治して?」と必死に訴えてくる子供たちの方が多かった。手当は必要ない、大丈夫だよと言って突き放す。この私の行動は間違っていたのでは?と帰りのバスで考えていた。私が突き放したことで、次に行ったとき、この前は怪我してなかったから飴がもらえなかった。なら、次に来る時までに怪我しておけば飴や物資を貰える…と思って子供がわざと怪我をして傷をつくる環境を作ってしまったのではないか?と。マスターにスモーキーマウンテンの感想を伝える時、私の行動のせいで、次会うときに飴欲しさに怪我してきたらどうしよう…と話したとき涙が止まりませんでした。やはり、自分で治りかけのカサブタを剥がして見せてくる子供がいるそうです。心が痛くてたまりませんでした。マザーテレサの孤児院を訪ねたときは、話すこともできない、手足が曲がって寝たきりの日々を過ごす子供達。頭が大きな子供。水が溜まって今にも破裂しそうなくらいに膨れた額の子供。そのほかにも、たくさんの障害を持った子供がいました。離乳食のようなご飯を食べさせるお手伝いをしました。優しく笑いかけると笑い返してくれる子供もいれば、笑うこともできない子供もいます。自分は五体満足に生まれてきて、両親もいて、食べたいものを食べれて、喜怒哀楽を自由に表現できる。こんな幸せな環境にいるにもかかわらず、「もっと綺麗になりたい」「お金持ちになりたい」「幸せになりたい」など、自分は欲の塊だ。スラム街を歩くと、今にも崩れそうな家、家と言えないような家、道には犬などのフンがいたるところに落ちていて、臭いも酷い。なぜ私が日本での生活に不満も持っていたのか、欲の塊だった自分が恥ずかしくてたまらなかった。あるとき、「あなた達はお嬢様育ちだろ?」と言われた。エアコンは一部屋1つ付いていて蛇口からは水もお湯もでて、毎日温かい風呂にも入れて、外出してもトイレは何処でも借りることができてトイレットペーパーも使いたい分使える。そのほかにも沢山贅沢して、何不自由なく生活してきた。完全に自分はお嬢様育ちの仲間入りなのだと知りました。情けない。結局、私は現地で何もできなかった。自分の為になることばかりを学んで、現地の為になることなんて何一つできなかった。今回、英語もタガログ語も話せなくて、片言の英語でコミュニケーションをとって、自分の意思など、正確に伝えることすらできませんでした。私は来年から、参加する前から決まっていた留学に行ってきます。絶対に英語をものにしてきます。そして、誰にも負けないようなものを身に付け、正確なビジョンを持ち、もう一度マスターの所に行かせてください!!7日間、沢山怒らせて、A型の余計な行動で呆れさせて、迷惑ばかりかけて本当にすみませんでした。マスターに認められるような人間になって伺いたいと思います。初めて道場でマスターとお会いした時、正直迫力が半端なくてマッチョで怖かったです…筋トレもしてましたし…ただならぬオーラだったのでビビってました。でも、怒るとき以外のマスターの笑顔は愛情に溢れていて密かに癒されてました。帰国後すぐに無事日本に到着したことを両親に連絡しました。両親は、夜遅くに家に到着するにもかかわらず、最寄り駅まで迎えに来てくれた。温かい食事とお風呂も沸かして寝ずに待っていてくれました。すぐに両親に話があると言って向き合って感謝の言葉を伝えました。心配ばかりかけてきたことを謝りました。私が、あまりにもボロボロに泣いたので、普段見せない泣き顔を見て親は驚きながら優しく笑ってました。大きくなって初めてハグをしました。と同時に心の中で、感謝の気持ちを忘れないこと。心配かけずに親孝行し続けるを自分に誓いました。最後に、現地NGOのみんな。言葉では表せない程感謝してます。翌日学校で朝が早いのに夜遅くまで準備など手伝ってくれてありがとう。説明なども日本人が来るたび、同じことを何度も何度もしていて、もううんざりなはずなのに、優しく一から手とり足取り教えてくれてありがとう。私たちが怒られる度に、しんみりとした空気になってしまったね。そんな環境を何度も作ってしまってごめんなさい。文句一つ言わずに色々と付き合ってくれてありがとう。たくさんの笑顔をありがとう!!既に皆に会いたくて会いたくて仕方ありません!!マスター、子供達、ジェニー達。7日間、本当に本当にありがとうございました!!みんなが大好きです!!必ずまた会いに行きます!ボランティアオタクから抜け出した自分でマスターが行っているボランティアをしに行きます!その日までどうか、皆さんお元気でいてください!!
まずは、一番しなくてはいけない両親にボランティアすることから始めます!両親だけでなく、今の環境・周りの物全てに対してに感謝していきます。心で感じて行動できるような人間になれるように7日間で学んだ事を忘れずに生きていきます。
子供達に会いたいから
なぜ現地に行こうと思ったのか、また、何をしに行くのかを明確なビジョンを持って行くようにしてください。