フィリピン 貧民区キッズサポートへの海外ボランティア
両親がいなくても、ご飯が満足に食べられずやせ細っていても、いつも笑顔で周囲の人へ感謝して、自分のことを後回しにして、隣の子を優先する子供たちがいた。
一生の思い出
将来は民間企業に就職し、新興国の経済発展と生活水準の向上に寄与したいと大学生活が始まってから考えるようになった。以前からもグローバルな活動を生涯の仕事としたかった。けれど、未だに貧困に苦しむ人の生活を知らず、また何故新興国の発展に貢献したいのか、自分には何が出来るのかを知りたいと考えた。今はできることが限られているだろうが、今回のボランティア活動をこれからの大学での学業に励むうえで危機感と使命や意味を強く意識させる経験にします。
去年このプログラムに参加した先輩から話を聞き、自分に何ができるのだろうか、と思い興味を持ち参加することにしました。古着と靴を友達からも集めたりして、これで大丈夫、あとは現地に行けば何をすべきか教えてもらえるだろう。そうした思いでマスターが活動されている、アディションヒルズという地区へついて行きました。
マスターが子どもたちのために建設している道場へ入ると、たくさんの子どもたちが笑顔で、次から次へと名前を聞いてきます。その子供たちはマスターに空手と礼儀を教わっています。みんないつでも笑顔で私たちを迎えてくれ、ボランティア活動について教えてくれる優しい素晴らしい子たちです。日本人ボランティアはどんな時も、一人で出歩くことはできません。それほど危険なところなのです。いつでも必ず子どもたちに一緒にいてもらって、やっと外を歩ける。やっと行動できる。私は莫大な資金援助ができるわけでもなく、子どもたちのためになる日本の文化や特技を身につけているわけでもない。スラム街に住む子供たちを笑顔にしようとか、安心してもらおう、と思ったってタガログ語だって満足に話せない。マスターと共にいる子どもたちが、自分たちだって満足にご飯を食べることができないのに、ほかの子たちに食べるものをどんどん与えていく。その様子を見ながら、自分は目の前の女の子が何を求めているのか、サンダルがいるのか、服がいるのか、サイズはどのくらいの物がいるのか分からず、まごまごする始末。
風呂はおろか、シャワーだって浴びることのできない人たちもいます。私はマスターの家で子どもたちと一緒に床で寝かさせてもらいました。ボランティアに行ったのに床で寝たのかと思われるかもしれませんが、安全な寝るところがあるだけでも有難いと感じました。屋根があって、あったかいシャワーを浴びることができ、私の両親は健康で、ご飯もしっかり食べさせてくれて、守ってくれる。日本では、道は舗装され街はきれいに整って、電気や水道も何不自由なく使わさせてもらえる。それがどれほど有難く、異常なくらい珍しいことなのか、感じることができなくなっていました。だからマスターからは一週間、平成宇宙人といわれ、叱られ続けました。日本の礼儀も世界の状況も知らない宇宙人だ、と。
マスターは自分のお金と時間と人生をかけてフィリピンのため、子どもたちのために活動されている方で、私とは全く意志の強さが違いました。だからマスターに叱られたことはすべて道理にかなったことで、反省することしかありません。活動を一旦止めてまで、私の欠点、甘さを指摘してくださったマスターには申し訳ないですが、叱って頂けたことに心から感謝しています。
フィリピンボランティア以降、いつでもご飯を食べる前には必ず、父母と世間の人々と自身の境遇に感謝してから頂くようにしています。マスターと現地でサポートしてくださったご婦人と、そして子どもたちとの大切なつながりを忘れません。まずは英語で会話する力をさらに磨き、大学で経済学を学びます。そしてお金を貯めて、マスターに大きなサイズの絆創膏を送ります。何もできなかった今回の経験を肝に据えて、大学に行かせてもらうからには、マスターの自他共栄の精神を実現できる社会人になります。
今の私では貢献することができず、ただ見物するだけにとどまるだろうから。
フィリピンの子どもたちに何ができるのか、またはしたいのか明確な意思とビジョンが必要です。大きなことでなくてもいいのですが、必ず明確にして参加するようにお願いします。
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
マスター、投稿が遅れてしまい申し訳ありません。また出発間際に私のゴミを持ち帰れず、マスターの家に置き忘れたと思います。結局最後の最後まで自分で責任が取れずごめんなさい。マスターの生き方、自他共栄の精神を胸に、両親に安心してもらえる大人へと成長します。その時には寄付もたくさんします。マスターもお体に気を付けて、お元気で。